家族

今年のお正月、実家での色々があってから今日まで足が遠のいていた。
駅で3つ分、車でも10分ほどの実家がものすごく遠かった。
私が遠くしていただけだけど。

そもそものきっかけは、私が少し弱って結婚してはじめて一人で実家に帰り、お泊まりしたことが原因、だと私は思っている。

その時私の中には、よくなる気配がないダンナへ苛立ち、この先ずっと頼りにできないのかもという絶望感、お金関係、職場での重圧や忙しさ、加えて子供が卒業して就職することの達成感。そんなものが全部押し寄せてきていて、もういいかな、離婚しても…な気持ちがどこかにあった。

今思えば、言葉の端端にそんな気持ちが出ていたのかもしれない。
「結婚する時は親の承諾って乞うけど、逆の時はどうなんだろうね」なんて言ったりしていて。その時父は「健やかなる時も、やめる時もって誓っただろ?結婚てのはそういうもんじゃないのか」って言っていたけど、本当に心配な一言だったんだよね、きっとあれが。
それまでじっと、心配しながらも決定的なことは言わず、見守ってきてくれていたのに、あの一言が、父の一言を引き出してしまったと思っている。「戻ってこい」と。
大切な人に、一番辛いであろう一言を言わせてしまった。最悪だった。

そのせいで私の子供達の、多少なりとも祖父に対する思いなどに影響させてしまった。
本当にごめんなさいという気持ちでいっぱいで、顔を合わせられないで今日まできた。
コロナなどで、高齢者が亡くなったりする報道を見たりするたび、このままじゃいけないと思いながらも、勇気が出なかった。

私は小さい時から、頑固で負けず嫌いで、意地っ張りで、屁理屈女だった。今でもそれは変わらない。小学生の時に起こした事件のために、自分が悪いのにもかかわらず、何に対しても変に姉に対して劣等感を持っていた。今この時まで、誰にも言ったことはないけど。
どうしてもかなわない、でも私なりに頑張ろう、親に認めてもらおうって、ずっとここまできてしまった。認めてもらうどころか、心配のかけ通しってやつ。
やっぱり姉にはかなわないし、変に意地張ったりしたけど、どうにもこうにもいかなくなったってことだ。

本当にお子様ですね、こうして振り返って分析すると。

本当に心配かけて、申し訳ないと思う。今日久しぶりに実家に行きます。

ダンナのことは、もうずっと見守っていくことに決めた。一緒にやっていくよ。
昨日お医者さんにもよくなってきてるって言ってもらったし、本人もそう言ってるから。
これからまた浮き沈みあるかもしれないけど、何とかやっていく。
また、健やかなる時がきたら、楽しいことあると思うし。なんだかんだ自分が考えてやってきたこと、そうそう間違えてもいないし。
仕事も大変だけど、やりがいあるし、支えてくれる人たちばっかりだから、頑張れる。
何よりも、母の強さと、頑固さ、父の偏屈と適当さを兼ね備え、精神科の先生にも「奥さんは絶対にうつにはならないから、奥さんの思考を参考にしなさい」とまで言われたこの楽観的な性格があるから、この先も笑っていられると思います!

これまでの分、親孝行します!ありがとう。ごめんなさい。

病院

今日はダンナの受診日。
脳外科と精神科。午前中は脳外科で次回のMRIの予約を取るらしい。
予約時間は11時なので、それまでに病院へ送る。予約だけなので付き添いはせずに、午後の精神科の時間までダンナは病院で待機、私は一旦家に戻る。今日は仕事はお休み。

ダンナを送り、家に戻る。この間30分ほど。さぁ、いない間にお天気悪いけどお掃除しちゃお!って思っていたら、「終わりました」「?????」はやっ!
いつもは予約時間って何のためにあるんだろうね?っていうくらい待たされるのに?どゆこと?
とりあえず、精神科の時間まで待機するというダンナはおいといて、お掃除を済ませて、病院へ。
なるほど、「人が少ない」
いつも混み合っている受付、会計のところも閑散としている。そして、長いカウンターの上に透明の厚いビニールでシールドが作られていた。
入り口など至るところに自動で出てくる、消毒薬が設置されていた。
コロナの院内感染が騒がれている中、当たり前といえば当たり前だけど。

ダンナと合流。精神科の前にも、いつもは椅子が埋まるくらいは人がいるのに、今日はダンナのみ。
早かった脳外科の話を聞く。
この病院、脳外科は小児科と隣り合わせたところにある。だからいつもは高齢者と、小さい子供さんなんかでそれはそれは混んでいるのだけど、今日は人がいなくてすぐに呼ばれたらしい。
いつもいるあの人たちはどうしたのだろう?って話に当然なって。

高齢者はコロナに感染したら、重症化しやすいし、まして小さい子供連れてくるなんてリスク高いでしょ。電話診療などを実施してくれてるらしいしという話をした。
実はうちのお隣のママさんも看護師さんとして、この病院で働いている。
できれば、この時期近づきたくないなって思う場所。そこで懸命に働いていてくれる人がいるからこそ、今の私たちは安心して暮らしていけるんだよなぁって実感して、ちょっと泣きそうになった。

ところでダンナの診察だけど。ここのところ調子はいい。「良い」というか「悪くならない」。ここ大事! この病気、普通か、悪いか。だからね。
今のところ、ずーっと普通を続けられているらしい。「落ちること」がないらしい。素晴らしい!
ここで先生に、ちょっと仕事について聞いてみた。と、いうのもダンナはいきなり普通の時間、つまり8時間くらいの勤務体系の仕事にチャレンジしようとしていたから。お金のことで焦っているのはわかってはいるんだけど。
やはり、「長時間だったら、週に2〜3日。毎日やるんだったら短時間。で、軽作業的なことから始めて欲しいなぁ」ってこと。
「薬飲んでるから、運転とかはダメ」「なるべく疲れないようなものをね」だそうで。
「普通の状態が続いてから、仕事した方がいいんだけどね…。」どゆこと?
ダンナのいう、「落ちない状態」つまり「普通でいられる状態」が少なくても3〜4ヶ月続いたところでお仕事を考えるのがいいらしい。
ダンナの場合、2月の中旬に薬を少し増やしてもらって(この薬がとても合うらしい)、3月丸々一月と、今日までの間がその期間。だから6月7月ごろに、調子が下がってなければってことだね。
この間は無理すると、再燃しやすいらしい。無理は禁物ってことですね。

これを聞いた後、少し残念そうだったけど、ズゥうぅんって落ちることはありませんでした。
少しづつだけど、よくなっている事を信じて、頑張っていきましょう!
頑張ろうね!

ところで、今日の精神科の先生、ちょっと疲れて見えました。
驚くことに、ダンナも同意見。
私もだけど、このコロナ騒動で精神的に参っちゃう人もいるんだろうなって思う。志村けんさんが亡くなった時、今まで以上にすごく身近に感じてしまって、急に両親のことが心配になったり、急に涙が出たり、大声叫びたくなったりした時があったから。
世の中の、医療従事者の方、病院で働いていてくださる方につくづく感謝した1日でした。

うつ病…の人の周りの人2

引き続き、周りの人(私)のことを。

うちのダンナの場合、病気もそうだけど、日頃の思考がもうネガティブ。
で、何だか窮屈。で真面目。責任感強し。
なので、病気になってから、
  ゆっくりしてる俺、ダメなやつ。
  仕事してない俺、ダメなやつ。
  家族のこと養えない俺、ダメなやつ。
みたいな無限マイナスループに陥っては、回復し…を繰り返す。
うつ病の人に「がんばれ」は禁句とはよく聞いてはいたけど(私の受け持った学生の中にもいらしたので)特にうちのダンナは「頑張れてない俺ダメなやつ」になってしまうので禁句。

本当に気分が落ちている時は影を纏ったようになっているし、それほど気分が悪くない時でも、基本1日何にもしない。
ずっと一か所に座ってタブレットをいじっているか、テレビを見ているか、寝て過ごしている。怠けているだけなのでは?って誤解されるのはこの辺だよね。きっと。
話しかければ普通に会話できるし、笑うし。知らない人からすれば、「何?」って思われても仕方ないのかなって。
お医者さん曰く、やる気とかは一番最後に復活する、らしい。スイッチすらないのよね。
今、やっと仕事探そうかな?って気になり始めているみたいなんだけど、なかなかうまく行かないらしい。コロナの影響で仕事自体減っているだろうし、もそも面接なんてできないだろうしね。なのでまた具合が悪くなるんじゃないかと、ドキドキしてる。

そんなダンナ、見てるとそりゃイライラする時もあるからね。仕事して帰ってきてるのに、1日テレビ観てたんだろうなぁとか、買い物くらい行ってくれればいいのにとか、散歩行けば?とか、少しは生産性のあることしようよ、とか。無理なのにね。忙しい時とか、自分に余裕がない時とかはやっぱり、「あーもうっ💢」って思ったりするんだよ。
特に私の休みの日にその調子だと、「計画的に事が進まん!のよ、空気よめっ❗️掃除ができんやろがっ💢」ってイライラも倍増する➡️私の精神が崩壊
なので、これも始めたことだし、最近は部屋にこもって、できるだけ自分の好きなことに時間を費やすことにしている。
ペースを乱されないように。

なわけで、自粛な今日は一人で黙々と歩いてきました。1時間くらいのウォーキング。
迷子になってもいいや、って知らない道をてくてく歩いて、誰もいない公園だったり、素敵緑地だったりを見つけてお得な気分になりました。お天気はどんよりだけど…☁️

まだまだやれる!頑張れ私!

うつ病…の人の周りの人

うつ病の診断を受けたダンナの周りにいる家族の話。

まる3年、4年目に入って、正直今の私の精神状態は割と弱っていると思う。
だからこそのブログだったりするわけで。
今日はちょっと私の話。

私は甘えるのがとても下手。元々負けず嫌いで、「できない」と言うのが本当に嫌い。
子供ができてから、子供が大きくなるまでは子供のことだけを見ていて欲しいと望んでいたダンナ。いやいや、お金足りん!けど、お金足りませんので働きますとは伝えられず、「私がやりたいから」という理由で押し切り働き始めた。相当もめた。
トラックの運転手という、とてつもなく拘束時間の長い仕事についていたダンナからは、「俺のことはアテにするな」と言われたなぁ。今そんなこと言ったら炎上モノ🔥ですよね。
元々やれることは自分でって思ってやってきたけど、あの瞬間かなぁ、甘えちゃいけないんだって強く思ったのって。
それからは仕事を理由に、子供に影響が出ないように、必死だったな。「全国にはこんな人たくさんいる。その人達ができて、私にできないはずがない」が常に脳内励ましメッセージだった。
そして、ダンナの仕事の事も心配だったんだよ。今は若いからできるけど、ずっと続けられる仕事じゃないって。体力的にも。だから仕事でキャリアを積んで、いざという時大丈夫って言ってあげられるようになっておきたかったんだよね。
実際、そういう時が来てしまったわけだけど。
仕事してきてよかった。反対されても、めげずに頑張ってよかった。



という感じで、あまりというかほとんど甘えずにやってきて、こんな中、自分の実家にもそんな調子でやってきたんだけど、ちょっとだけ緩んじゃってさ。抱えきれなくなって、結婚して26年の間1回もしてこなかった「一人で実家に帰って両親と過ごす」、なんて珍しいことをした。それがいけなかった。そりゃ心配するよね。
それでなくても、ダンナが仕事してない状態を本当に心配してたしね。
それでさ、ちょっと父がダンナに何か言ったみたいなんだよね。まぁお酒も入ってたし、普段は何も言わず見守ってくれてたんだけど、私がちょっと弱って見えちゃったのかもしれない。
普段甘えない私が、実家に帰ってきて、泊まっていくなんてよっぽど辛いんじゃなかろうかと。お前がしっかりしとらんからなんじゃないのか?みたいな。
それでまた、上がっていた調子が元通り、というかとても悪化してしまったの。
子供たちは「お父さんに何かあったら…」とかいうし、ダンナはまた薬でも飲んじゃうんじゃないかと思うくらい落ちていくし。

そこでまた、やっぱり私は甘えたらダメなんだなという結論に至るわけです。
そりゃ、もうながーーーーーい間そうやってきたんだもんね、今更キャラ変してもさってことだよ。
でもさ、やはり甘えたり、肯定してもらいたかったり、褒めてもらいたかったりするじゃない?たまにはさ。
でも、そういうのをね、「できること」を増やして、自分で満足して、自分を肯定していく方法に変えてみた。前向き笑
元々好奇心はある方だし、後先あまり考えずにやっちゃうけど、楽しいこと増やして自己肯定して、なるべく弱らずにやって行こうと思う。
そう思っていた矢先のコロナ。でも負けない。まだ弱ってて、完全復活じゃないけど、前向いて頑張る。

やはり吐き出すの、大事!っていうか、私ってドM⁉️

うつ病

そもそもこのブログを始めたのは、自分の気持ちを吐き出せる場所と、「あー、自分だけじゃないんだなぁ」って人と繋がりたいなって思ったから。

自分の決めたことや、やろうとしていることや、やろうとしていることに自信を持ちたかったから。

私のダンナが、実はうつ病です。
もう早いもので、3年ですね。
仕事の関係で…とかではなく、まぁなりやすい思考の持ち主ではありますが。というか、いつかはなってしまうのではないかと思っていましたが。まぁ、そんな思考も相まってなのかもしれませんが、そもそものきっかけというか、原因は「脳梗塞

2016年の7月の仕事中に倒れ、そのまま救急車で運ばれ、その時の診断は「熱中症」でも翌日になっても、呂律がまわってなくておかしい!って病院へ。そのまま入院となりました。
詰まったところは相当危険箇所だったにもかかわらず、軽い後遺症(左手指の感覚が少し鈍いらしい)くらいで翌月に退院。
10月に早々にも仕事復帰。真面目なんだよね。責任感が強いと言いますか。
仕事先でミスをする人を何人も見たり、自分も小さいミスをしたせいか、何だか怖くなったのでしょうか、どういう思考だったのかわからないけれど、脳梗塞後の高次脳機能障害なのでは?と疑い始めた。
モノを覚えたり、判断したりする部分が脳梗塞が原因で障害を負ってしまったのではないか?と。
症状として、物忘れが酷かったり、自己認識の低下などが挙げられるみたいなのですが、どうやら自分の症状と照らし合わせた結果、これに該当するのではないかと判断したみたいでした。

2016年の12月、お酒を飲みながら、自分なんていないほうがいい、みたいなことを言い始め、仕事の悩みやらを言い始め、机に頭を打ちつけ始めたんだよね。何度も何度も。
お酒の飲み方の尋常じゃなかったし、あの時は怖かったなぁ。

でね、そこまで思うんだったら、「ちゃんと検査してもらって、リハビリしないと」って病院の予約とって検査に行ったのよね。
高次脳機能障害って判断するのに、検査があるんだって。
その検査の前に検査する人が「先に先生とお話ししましょうか」って。きっとこれは違うなって分かったんだよね。
私でも感じるくらいだったんだから。あ、うつ病なんじゃ?って…

そのまま精神科の先生とお話しして、「うつ病ですね」と。
先生曰く、脳梗塞や頭の病気、心臓の手術をした人にはあるらしい、病後鬱
ダンナの場合は詰まってしまった血管を補うために、周りがそれはもう目まぐるしく、新生児の赤ちゃんの脳がフル回転するごとく働いているらしい。そういう時は本当はゆっくり静養しなくてはいけないけど、3ヶ月程度で仕事に復帰してしまったことが直接の原因らしい。それを聞いて、当時は本当に納得してしまいました。なるほどと。

診断後、ダンナは泣いてました。看護師さんは、辛かったね、でもよかったね、的なことを言っていたんだけど、私にはわかりました。旦那の涙のワケは安心なんかではなく、「自責」
なんでこんなになってしまったんだろう、や、情けない…という気持ち。そういう思考がこれを招いたんだけどね。

さて、ここから私の試行錯誤が始まるワケです。

文章にすると、頭の中が整理できて良いな。
文章は整理できてないかもしれませんがね。


まだまだやれる!がんばれ私!